うつ病にかかるまで。
本当にコレは何がトリガーになったかわかりません。
元旦那のDVか、育児ノイローゼか、妻、母としてのイデオロギーか。
始まりは結婚後のDVでした。
お金の使い方が荒く、どんなに貯めても私の目を盗んでお金を引き出しパチンコスロットに行く元旦那。
若かった私は男のプライドなんて関係なく詰りました。 挙句、彼は俺の稼いだお金を自由に使えないのか?!と、私を突き飛ばしました。
お金を引き出す度に夫婦喧嘩。
でも、それ以外は優しく優しくしてくれる彼に惑わされ、子どもを妊娠しました。
それでもパチンコスロットは、辞めてくれずにその度に喧嘩の毎日。
出ていく!!と、啖呵を切った私を追いかけ俵担ぎし、連れ戻され、落とされました。 暴れるから落とすしかなかったと、後に彼は話しますが、私は追いかけられ捕まるという恐怖を植え付けられる事となります。
早く離婚したら良かったですが、
何度も書きます
それ以外は優しく、仕事もしっかりしてくれる傍から見ると良い旦那だったのです。
子どもが生まれ、初めての育児、協力する人はおらず、1人でギシギシ言う身体に鞭打ち、新生児を連れて買い物、洗濯、料理、全部こなしました。
身体が言う事をきかず疲れきり、子どもと一緒に寝てしまい、夕飯を作ることなく旦那が帰ってくると大変です。
1日、何してたの?!まさか寝てたの?!
ひどいじゃないか、外で働いてきたのに、夕飯もないのか!
不機嫌になり、無言でゲームを始めます。
ゲームの間に夕飯を支度しろと、言う意味です。
言いますが産褥期と言うのがありまして、2ヶ月程は無理のない生活で特に産後1ヶ月は、新生児と一緒に寝てお乳をあげ、寝るだけの生活をしなければ身体が回復しません。
元旦那は全くそれを知りませんでした。
私の甘さもあったかと思います。 新生児との産褥期は乗り越えられるだろうと思っていたのです。
そんな身体にも限界が来ました。 悲しくてたまりません。身体はギシギシ・・・悪露も全く減らず量は増えるばかり・・・ コレはヤバイ。倒れる前に実家に帰らなければ。
実母に頭を下げると、涙ながらにすぐ迎えに来てくれました。
それから3ヶ月以上帰れませんでした。 身体の回復が遅く、なかなか悪露も止まらず、歩くこともままならない生活でしたから。
元旦那と言うと、買いだめしてあった冷凍食品やカップ麺、近くのスーパーでお弁当を買って、自分で洗濯して過ごしていたようです。 お金は置いて来たので自由にやっていたのでしょう。
寂しいから帰っておいで、と、何度も言われましたが、体調が回復するまで待っていて下さいと、度々断りました。 実家に迎えに来ることもありましたが実母がうまく追い返してくれたようです。
私はなんてダメな妻なんだ。
旦那と子どもの世話も出来ないで・・・
世の中ちゃんとやってる人はいるのに・・・
なんで私は出来ないのか・・・やれば出来るのかな。やらないだけなのかな・・・
身体が回復し、子どもの体重も増え、首もすわった頃、やっと家に帰ることが出来ました。
悪露もやっと止まり、母乳も軌道を乗ったので今帰らなければ母親失格の烙印が押されると思ったのです。
家に帰れば子どもを可愛がる時間はありませんでした。
元々家事が苦手な私は掃除洗濯家事に追われ、一人増えた洗濯物に四苦八苦。
ヘトヘトでした。 可愛くないと言ったら嘘になりますが、このヘトヘトな毎日に疲れ果て、子どもにどんな風に接したら良いかもわからなくなっていました。 授乳、着替え、オムツ交換、全ての声かけは敬語。なぜそんな他人行儀だったのか今でもわかりません。 悔やまれます。
この世界から抜け出したい・・・
子どもが8ヶ月の頃だったと思います。
元旦那は私が働きに出ることには反対でした。家事育児が満足に出来ていないのに、無理だと。
でも、私はこの世界から抜け出したい・・・私でも社会の一つの歯車になりたかったんです。
偶然あった資格取得学校、そこで専門学校卒業の資格と共に国家資格も取得出来るとありました。職業訓練なのでお金はかかりません。
そこに元旦那に反対されたまま、応募。
合格したのです。
私はやっとこの世界から抜け出せる・・・!!と喜びでしたが、元旦那は全く応援する気は無く、掃除洗濯がされていない事に常に腹を立て、子どもを保育園に預けることも嫌がりました。
もちろん保育園の送迎は私がします。
夕飯も私が。
掃除洗濯それに勉強・・・育児・・・
やってやれないことは無いと、頑張りました。
お金の管理を少し怠りました。
気がつくと預金が半分以下になったのです。
元旦那の使い込みでした。
なぜ私は頑張っているのにあなたはお金を勝手に引き出すの?!飲み会は月に何度もあっては困る!!パチンコスロットも好き勝手にされては困る!!
問い詰める私に元旦那は
お前だって好きにやってるだろう?! 俺の稼いだお金の使い方に文句言うなっ、と、私の首を締めたのです。アザが出来るほど。
学校へは素知らぬ顔で通いました。 季節は夏。首元は隠せませんでした。
同級生は心配してくれました。
私はやっと目が覚めたのです。
元旦那、この人の側にはいられない、と。
優しく仕事を真面目にしていたって殺されてはたまりません。 自分の子どもがやっとやっと可愛くなり、敬語も無くなり始めた頃でした。
私は離婚を決意したのです。