新しい病院で。うつ病と、闘う。

新しい病院では、検査の末、

うつ病最重度と、診断


買い物しても買うものを覚えていられない

料理の方法もわからない

目的地につけずに迷う 迷った時にどうしたらいいかわからなくなる


と言った具体的な例を並べられ、 今話した事もきっとわからなくなっちゃうんだよ 


まずここで治療する気持ちがあるならご家族を連れてきなさい。

このうつ病は家族の協力無しでは治らない。


仕事をクビになったとか後回しだよ。

今はそれどころじゃないんだから。

早い時期に連れてきなさい。 


そう言われました。 


私は驚きました。 離婚しひとりで子育てしているのに、それじゃあ子育て出来ないじゃないか・・・。

実家にお世話になるしかないのか・・・?? 

お金はどうしよう 

今住んでる所を引き払うにもお金がいる・・・

私はどうしたら・・・


うつ病の特徴でもある判断力の低下が著しいことを先生はすぐ見破っており、



そんな事は後でいいんだよ

まずはご家族を連れてきなさい


と、それだけを強く伝えてくれました。

母親には幸い、以前の病院での事もあり、病名は知っています。 

ついてきてほしいとお願いすると快諾してすぐ都合をつけてくれました。


仕事を辞めた事は保育園にも話さないといけませんが、こんなカラダの状態では家庭保育は負担でした。 すぐ復職するつもりでもいたので、診断書も書いてもらいたい事を母親にも伝えておきました。


先生の言う通り、自宅に帰ってハンバーグを作ろうとしても、玉ねぎ、パン粉が無いことも忘れてひき肉しか買わず・・・ 

パン粉の代わりに食パンちぎって入れればいいものを、そこまで考えが出来ず・・・

2回買い物に出掛け、ぐったり。 

玉ねぎもパン粉も買いましたが、結局それで疲れてしまい、夕飯はお弁当に・・・


私と子どもの2人だけの生活は無理だな、と、痛感したのでした。  お金も貯蓄を食いつぶしていました。いつまでもコンビニ弁当ではいけないと分かっているのに料理が出来ない・・・


母親との通院までの期間、やってみようとしましたが、出来たのはハンバーグのみ。 後の野菜炒めやそれまで得意だった餃子も全く手に付かず。

野菜を見て決めていたご飯も、全くまとまる気配のないまま、レジに進む私。

食材を無駄にする事もますます増えていました。



母親と通院しました。

先生は冒頭の様に先日と同じ事を言うばかりでなく、もっと難しい話もしていたと思います。

当時の私はモヤがかかったように言葉が上手く理解出来ず、ただひたすら涙が溢れました。



母親は一言、長いお付き合いになるかと思いますがよろしくお願いします。 家族でもうつ病を理解し、本人を休ませるよう努力致します。


とだけ言ったのを覚えています。


その後母親から保育園の件も話してくれて診断書も無事取れました。


まずはよく寝る事、疲れちゃダメ  家事も極力やらないでゆっくりしなさい


と、言われる日々が続くことになります。 

カウンセリングなんて言葉を出しても、自分の整理をつける時期じゃないと、ご一喝。

まだ 療養が足りない。

と、言われ、やっぱり、ゆっくりしなさいと言われたのです。 




その間、父親の苛立ちや兄弟の理解のなさに苦しめられ、母親と妹の理解の深さに助けられて、

自活が少しづつ出来るようになりました。 


通院は2週間に1度

こうできるようになってきた

と言えば 焦るなと言われるけど


少しづつ家事して体を適度に動かして行こうか

と、言われる様な診断結果が出るようになってきました。 


仕事がしたい

そう告げると

まずは1日3時間、2日からならいいよ

と言われました。


そんなふうに雇ってくれるところなんて無いだろう・・・  と、思いましたが

少しづつ求人情報も見るようになってきました。 


まだまだ朝起きるのはしんどい。

保育園の送りは母親に。


夜眠れないので睡眠薬を。


保育園の迎えだけは私が行かなきゃと思っていたけれど、やはり母親にお願いする事がありました。



当時の私は、悔しくて悔しくて・・・ 

どうして私が自分の子を見てあげられないんだ・・・と言う気持ちからこんな自分にイライラもしました。 


調子が悪いと全く動けず

おかあたん、と、寄ってくる子どもを

今は無理・・・あっちに行って・・・

とあしらったりもしました。




段々、この病気の恐ろしい症状にはまっていきました。


父親が言いました


お前に子どもを育てるのは無理だ。


と、大きな声で私に向けて言ったのです。




私には子どもを育てられない母親なんていらない

お前は母親にはなれない

お前はいらない

そう聞こえました。 


お前は

いらない


そうか、なんて事。私はこうのうのうと寝ててはいけない。 死に場所を探さなければ。

クビをつる場所

落ちる場所

自殺の名所


食事を取らなければ餓死するか



もう、生きていく意味がない


そう追い詰められていきました。 


何度も何度も高いビルを見つめ

何度も何度も人の出入りしてい無さそうな山や茂みの奥を見たり。 




幸い私は今尚生きています。 生きていく事が出来ました。それはあるキッカケがあったのでした。 

命の恩人です。


それはまたの機会に。