命の恩人



離婚をする時期、

かなり私の表情は硬かったと思います。 



ライフイベントの真っ只中。 



学校の1人からメールがきました。 


大丈夫ですか? 


同じゼミの方でした。  元々、ゼミ長、副ゼミ長として交流のある方でしたが、ゼミ以外は昇降口ですれ違いざまに挨拶する程度。授業もかぶりませんでした。 


大丈夫ですよ、何かありましたか?


私は彼に特に心配させる必要もないと思い、何も伝えませんでした。 



後から知った話ですが、元々彼は私に好意を寄せており、でも、私が結婚してる為気持ちはセーブしていたようです。 

仲の良いゼミ仲間

でいようと思っていた、とも話していました。


何かあるなら相談に乗りますよ。 

いつでも連絡下さい



と、気にしてくれて、正直嬉しかったです。


当時の旦那は、高圧的で金遣いも荒く、家に帰れば私は召使い。人として扱ってもらえていたか・・・  性欲の処理、空腹の処理、身支度の処理、空間が整理されている事は当たり前。

感謝の言葉は一つもありませんでしたし、どこに何があるのかすら把握していない状態。


ひとりでは何にもしない人で

口論になると必ず壁に穴を開けていましたのでもう、ヘトヘトだったのです。 



その元旦那からの別居。

そして離婚届の受理。


走り続けていた私は、やっと疲れる表情を許された時でした。 



そこからたわいないメールのやり取りが始まりました。 



気にかけていただきありがとうございます。

今度ゆっくりお話出来たら、と、思います。もう少しで決着がつくので!!


など、何の決着かわからないような内容ででも、やり取りは卒業式間近まで続きました。 


名前が変わった時に初めて離婚したことを告げました。 離婚の内容は私の周りの友人からチラホラと聞いていたようでしたが・・・。

根掘り葉掘り聞かず、メールだけのやり取り。


少しづつ距離も縮まり始め、卒業する頃にはお付き合いをさせてもらえる事になりました。




後ろめたい気持ちももちろんあったし、離婚してすぐほかの人と付き合うのはどうかしてるとも思います。 

彼も同じように思っていた様でした。



私達は私達のゆっくりとしたペースで互いに負担になることなく1日1通のメールで卒業後もいました。 


病気になった事も快く受け止めてくれ、色々と勉強もしたそうです。


ある日私は死のうと思うと話しました。


もちろん止めてくれましたが、

止め方が  本当にハッとする様な止め方だったのです。 


葬式も出来ない様な遺体だと、周囲は疑うよね。両親はその後片付けもするんだよ。

あなたは死んで終わりかも知れないけど、死んでから始まるご家族の心の病気が心配だな。

あなたと同じように苦しむんだと思うんだけど。



うつ病の人が増える?

私の大好きな家族に・・・?


これだけ迷惑をかけておきながら、死んだらもっと迷惑をかけて、うつ病までうつすの?



私は、死んで終わり

葬儀もせず、お骨も拾われず無縁仏。

家族には忘れ去られて、おしまい。



そんな事思っていたけど、実際は違う。


私の今の苦しみを、家族に与えたくない。 本当に苦しいから。 自分を不甲斐なく思うのなんて私だけで充分・・・  

母親も父親も立派な人だと思うから、余計に思って欲しくない気持ちが強かったです。 




この人に話して良かった・・・ 


死にたい気持ちが

少しづつ薄れていきました。 



そんな矢先に、元旦那の父親が保育園を嗅ぎまわってる件を聞いたのです。


死んでしまう気持ちよりも先に、逃げなきゃいけないと思いました。 



やはり、彼に相談しました。この土地を離れようと思う、と。


じゃあ私の元に来るといい


彼の暮らす土地は確かに私が暮らす土地から離れていたのです。 


俗に言う遠距離恋愛?でも、同じ県だったし、元々会う頻度も少なかったのでそう感じる事はなかったですが。


急に決まった引越しですが、 命の恩人がそばにいるので、私はこれから先も死のうとは思いません。  生きて、迷惑をかけた分、感謝の気持ちで返していこうと決めました。 

父親にも母親にも今の旦那にも。

あの時のダメな私を救ってくれて、支えてくれてありがとう。 



そして新しい土地での生活が始まるのです。