あの時の保育園の対応。

私が 仕事から帰り、 

子どもを迎えに行ったあの日。


涙が溢れたあの日 



先生はのちの園長先生になられる主任先生を呼んで下さいました。 


おかあさん、どうしたの? 

お子さんの顔みて安心したの?

お仕事、大変なの?


色々と優しく質問してくださいましたが、私はすいません、しか話せなかったです。 

保育園に弱い所をこれ以上見せたら、しっかりしなさいよ!と言われる気がして怖かったのです。 



すると先生は、私の肩にポンと手を起き、



いっぱい頑張っていらっしゃいますね。 



と、一言言ってくれたのです。 




もっと頑張れ、子どもの前で泣くなんて母親失格 

など厳しい言葉はありません。 


もっと、もっと涙が溢れました。 



お母さん、優しいから。ね、 

と、ニコリと笑顔を見せてくれたのです。 


ホッとしました。 あぁ、この言葉は今の私には思いがけない言葉だった・・・!! 


乾いた砂の入ったコップに

ポツリ、ポツリと潤いが戻る・・・ そんなじわじわとした感覚でした。 



職場の悪口を言うわけには行かず、 

仕事が上手く行かない事

前の保育園ではもっとしっかり・・・と言われた事から 

私は母親としてダメなんじゃないかと思うようになった事

を話しました。 


すると先生は 目に涙を浮かべて 


それは本当にお辛かったでしょう? 


と、話してくださったのです。 


私の乾いた砂の入ったコップは、ますますじわじわと潤っていきました。 

それが涙としていつまでも止まらずにいました。


あなたはもう、立派な母親ですよ、大丈夫。私だって失敗いっぱいしたもの!! 失敗しないでいい母親にはなれませんよ! 私がいい母親かはわからないけど、少なくともあなたは母親として立派。そんなふうに思うくらい、お子さんを大事にされてるって事が私にも伝わりますもの。

優しいお母さんだから、ほら、お子さんが心配してくれてますよ!こんなにいい子に育ててらっしゃるじゃない。


足元を見ると、我が子が心配そうに私を見つめ、痛いの?だいじょぶ?いいこいいこする?

と、話してくれていました。


ごめんね・・・ありがとう。

と、我が子を愛おしく抱きしめることが出来ました。 



あの日あの時の先生の対応はまさに神対応。 

先生はこの時に私が病を患い始めていることに気がついていたそうです。  


療養する話になっても、うん、と、頷き、お子さんはお任せ下さい。ゆっくりお家で休んでね。と、理解を示し、診断書のコピーとか書類上必要なものは私が少し落ち着いてから頃合いを見計らって話してくれていました。 



ここの保育園だったからこそ、私は安心して子どもを預け、闘病中のダメな母親を 頑張ってきたからゆっくりしていい時間なのだとゆっくり時間をかけて話し、闘病中のただの母親に戻してくれました。 


闘病中、忘れ物は日所茶飯事。

それでも 返答は大丈夫、園でなんとか出来ますよ。と、ニコリ。 

呆れてるとかそんなふうには見えず

毎日の送り迎え、大変でしょう?と、労ってもくれました。


笑顔になれない時も、そんな日もあるよね~位で特に変わらない対応。

申し訳ない位いつも頭を下げていました。 


保育園のおかげで、我が子はあっという間にオムツもはずれ、トイレデビュー。


お母さん、頑張りましたね!!やったね!!  と、いっぱい喜んでくれました。  

家では子どもがおしっこと言うからトイレに行って、出ても出なくても、お利口さん。と、声をかけていただけ。  そんなふうに言われる事をやった様な気はありませんでした。 

寝る前にオムツを変えて朝一番はおトイレさんへ。 寝ている最中におしっこが出てる事は元々少なかった子なので、朝一番はおトイレさん、成功でした。 


今思えばトイレトレーニングと言うような事はしていなかったと、思います。  朝起きたらトイレに行くのは私も当たり前だから、子どもも一緒に行く。そんな感じで、行くか行かないかは子どもに確認。たまに行かないとも言われ、ま、オムツだし、いっか。 と、自分のタイミングがあるのかな?位でしたし。


本当にここの保育園にして良かったと思っています。 本当に良くしていただきました。 



関係作りの大変さ、その後のケアまで・・・もしかしたら子どもよりも私がお世話になったんじゃないかとさえ思っています。



その保育園は、卒園まではおらず、元旦那の父が私の子どもを探しにあちこちの保育園に来ているとの情報を受け、

本当はもう少し良くなってから

元旦那の住んでいる所から離れたかったのですが

急遽、この地を離れる事にしました。


この地にいては、元旦那の影のチラつきが多すぎる。 

そう思ったのです。 


保育園も賛成してくれました。  

新しい地では苦労もあるだろうけど、きっと幸せになってね。と。


寂しさでいっぱいでした。が、病を悪化させる可能性や、連れ戻される可能性を考えると、誰も知らない場所へ逃げるしかなかったのでした。